2010年2月15日月曜日

人間と技術の関わり方

プリウスのリコール問題は、人間が技術に求める関係性が変わってきたことを象徴する事件。プリウスのブレーキは古い世代は機械の癖と感じ、現代の世代は不具合と感じた。かつては人間は機械を道具として使いこなすという付き合い方。そのために、機械の癖を知り、うまくつきあうことが当たり前だった。しかし、コンピューターが発達し、生活の中に入り込んでくると、人間はコンピューターが人間の要求に歩み寄ることを求めるようになった。小出委員によれば、駅の自動券売機もヒトの感覚にフィットしていない場合があったとのこと。今後の技術開発には、人間の受け取り方を重く見る必要がある。(NHK朝のラジオ、小出五郎解説員の解説より)
こうした事例は、ユーザーインターフェイスという領域に含まれるかどうか定かではないが、社会の感覚の移り変わりが知らないうちに進むことへの不安というものをニュースから感じた。
技術というものがヒトの下にあるものという感覚から、ヒトと同等に位置づけられる感覚に遷移した。まさに、SFで描かれてきたヒトとコンピューターの関係性が現実のものになっている。ターミネーターという映画ではロボットやコンピューターに支配される人間社会への不安が描かれていたが、それは10年後の私たちの世界を予見しているのかもしれない。
他方、人間と自然との関係について人間の思想も変わってきている。アバターという公開中の映画は、自然と人間社会が情報やエネルギーを共有しながら1つのシステムとして維持される世界と、その価値に気付かない人間社会とがうまく描き出されている。
技術ベクトルをどのように捉え、受け止めればよいのか、当研究所の大きなテーマである。

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