2013年6月9日日曜日

3Dプリンタがもたらすマスプロダクション時代の終焉

近代産業の中心的課題の一つは製品製造工程を大量生産プロセスにのせることであった。均一なサービスの提供とコスト削減を実現するのに好都合だった大量生産プロセス技術。発展途上国がこの技術をものにしたことで、彼らは先進国を市場として大いに発展してきた。

どこでも同じものが手に入る。便利ではあるが、退屈でもある。顧客の嗜好の変化を3Dプリンタが加速する。必要なものは自分でつくる。3Dプリンタはこれまで手の届かなかったプロのモノづくりを個人が手にする。かつてはパテを器用に使いこなして改造したプラモデル。3Dプリンタはオリジナルのプラモデルを自宅で作ることを可能にする。生産中止になった家電製品の部品。簡単な部品の欠陥によって家電製品を買い替えた人は多いのではないか。3Dプリンタによって自宅でそれを作ってしまうことができれば、家電を買い替えることも少なくなるだろう。

3Dプリンタの出現によって産業のパラダイムがシフトするかもしれない。中国が独占してきた安いおもちゃに見向きもしなくなる先進国の子供たちが想像される。思考をこらしたおもちゃを自分で作ることの楽しさ。また、家電製品の回転率を押し下げるだろう。

コモディティ産業の収益構造が大きく変わる。家電製品は安いより長持ちするものに人気が集まるだろう。おもちゃ等の簡単なものは、デジタルファイルの設計図をインターネットで顧客に送れば、3Dプリンタでパーツを作り、自作できる。金型も個人が作れる。個人のアイデアを形にして販売することも容易になる。

生産活動はグローバルからローカルに回帰するかもしれない。製品開発のコスト障壁が崩されると、企業の製品開発競争に個人が参入する。個人の生産活動によって自然発生する膨大な試作製品が顧客を奪い合う。

著書「富の未来」において生産消費者の経済効果の大きさを訴えたアルビン・トフラーは3Dプリンタの出現をどう読み解くのだろうか。興味深い。

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